検査と新しい生活への一歩

病院に予約を取り、母を診てもらいました。
診断は「明確に認知症というわけではないけれど、物忘れが少し強くなってきている」というもの。
念のため、脳の詳しい検査を受けることになりました。

MRIやCTの結果は、大きな変異もなく、「年齢相応の状態」とのこと。
今すぐ大きな問題が起きるわけではなく、とりあえず胸をなでおろしました。
物忘れの進行を抑える薬を処方していただき、しばらく様子を見ていくことになりました。

その後、ケアマネさんにも相談すると、
「人との接点を増やした方が、生活にも張りが出ますよ」とアドバイスをいただきました。
そこで、母をデイサービスに通わせることにしました。
まずは2〜3か所をお試しで利用し、母が一番気に入った施設と正式に契約することにしました。

実は、私はデイサービスのことをよく知りませんでした。
でも調べてみると、レクリエーションや食事、さらには入浴までサポートしてもらえるなど、想像以上にサービスが充実していることがわかりました。

あとは、母が素直に受け入れて、楽しく通ってくれることを願うばかりです。

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小さな違和感から始まった心配

母が退院してから、元の生活にもだんだんと慣れ、早いもので1年、2年と月日が経ちました。
以前と同じように……とはいきませんが、家族の助けを借りながら、穏やかな日々を過ごしていました。

母も80歳を超え、昔のように自由に外出することは少なくなりました。
その分、私たちがスーパーへ連れて行ったり、日常の中で少しずつ身体的なサポートをする場面が増えてきました。

そんなある日、母の姉の法事があり、母を連れて出かけることになりました。
その際、母の妹――つまり私の叔母も一緒だったのですが、車から降りるときにこう言われたのです。

「リンタローくん、お母さんなんか受け答えがおかしくない? 大丈夫?」

実は、私たちも最近、母の言動に少し違和感を覚えていました。
こちらから伝えたことをすぐに忘れてしまったり、
「そんな話、聞いてないよ」と本人が言い出したり――。

以前、かかりつけの先生に相談したことがあり、
そのときは「認知症の兆候は見られません」と言われていたため、
私自身も「まあ、年齢のせいかな」と、そこまで気にしてはいませんでした。

けれど、叔母の何気ない一言で一気に不安が募り、心配になりました。
そういえば最近は、以前楽しみにしていたクロスワードにも手を付けなくなり、
日中はテレビをぼんやり眺めて過ごす時間が増えていたように思います。

私はすぐに「脳神経外科」で診てもらおうと思い、近くの病院を検索し始めました。

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少しずつ、元の暮らしへ

背中の痛みも和らぎ、母は少しずつ以前の生活を取り戻し始めました。

シルバーカーを使って近所を散歩したり、スーパーへ買い物に行ったり、自炊をしたり――
私たちが思っていた以上に、しっかりと活動できるようになっていて、
あれほど大変だった入院生活が、ようやく過去のものになりつつあることを実感しました。

我が家では猫を飼っているのですが、そのお世話も再びできるようになり、
母にとっても、猫との時間が何よりの癒しになっていたようです。

また、ボケ防止を意識して、クロスワードパズルなどの脳トレにも取り組んでいました。
以前と比べると外出の頻度は減ったものの、室内でも前向きに過ごす工夫をしており、
「まだまだ頭はしっかりしているな」と、私たち家族も感心していました。

定期的に整形外科へ通院しながら、骨粗しょう症の治療も継続中。
このまま無理なく生活を続けていけば、完全に元の生活に戻れる――
そんな希望をもって、日々を過ごしていました。

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母の退院

前回家のリフォームの話をしましたが、具体的にはこんな感じです。痒い所に手が届くような、細かい器具が沢山あり感心しました。

柱に手すりを取り付け    廊下にある段差にスロープ  玄関土間に中間ステップ

 

2021年3月。
ついに母が退院しました。

緊急搬送された日から数えて4か月弱。
無事にこの日を迎えられたことに、母も私たち家族も、心から安堵しました。

ただ、これからが本当のスタートです。
手術後しばらく寝たきりだったことで、体力や筋力がどうしても落ちてしまっていました。入院中にもリハビリはしていましたが、やはり病院と家では環境も違います。
これからは自宅で少しずつ体を慣らしていくことになります。

また、骨粗鬆症の治療として、テリボンという皮下注射の薬を処方されました。これは週2回、自分でお腹に注射するもので、今後2年間継続する必要があります。また、定期的に整形外科での診察を受ける必要もあり、入院時よりも忙しくなるな、と思いました。

さて、退院したばかりの母にとって、以前のように趣味のグラウンドゴルフを楽しむのは難しそうでした。でも、少しずつ、シルバーカーを使いながら近所を歩き、知り合いと談笑する様子を見ると、「また少しずつ、元の生活に近づけるかもしれない」と、そんな希望が見えてきました。

 

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退院に向けて整えた、母の新しい暮らし

まだ寒さの残る3月初旬。
母の退院の日が少しずつ近づいてきました。

病院からは、退院後の生活をサポートしてもらうために、ケアマネージャーさん(ケアマネさん)を紹介されました。
初めてのことで少し緊張しましたが、ケアマネさんとの打ち合わせを通じて、退院後の暮らしに必要な準備が具体的に見えてきました。

前回の記事で、母のために和室を洋室にリフォームしたことを書きましたが、それだけでは不十分だったようです。
玄関の段差、浴室やトイレの段差など、日常の中には思った以上に障害になる場所があることを教えていただきました。
正直、自分だけでは気づけなかったと思います。とても助かりました。

また、ケアマネさんから、介護用品を扱う業者さんも紹介していただきました。
介護用品には本当にたくさんの種類があり、たとえば段差対策としては、室内に設置できるゴム製のスロープや、段差が大きい箇所には中間段のステップも使います。
さらに、玄関から居間、洗面所などの動線には、手すりも設置しました。

「こんなに細かい道具があるのか」と、驚くことばかりでした。
でも、それら一つひとつが、母の安心な暮らしにつながっていくのだと感じました。

なお、介護サービスを受けるためには「要介護認定」を受ける必要があり、私は役所に出向いて申請手続きを行いました。
この手続きも初めてのことで戸惑いそうになりましたが、ケアマネさんが丁寧に流れを説明してくださったおかげで、スムーズに進めることができました。
慣れない書類の準備や必要書類の確認など、本当に心強い存在でした。

ここでの気づきですが、「迷うことやわからないことは、とにかくケアマネさんに聞く。」ということです、彼らはその道のプロですので、遠慮することなく、どんどん頼ればよいのです。

母は「要介護1」の認定を受けたため、こうした介護用品は比較的安価に借りることができました。

そして、リフォームした洋室には電動ベッドも無事に搬入され、母を迎える準備は整いました。

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手術当日、そして退院後に向けて

手術当日は、私と弟の2人で病院に向かいました。
お互いに交わす言葉はほとんどなく、ただ静かに時間が過ぎるのを待っていました。
命に関わるような大手術というわけではありませんが、やはり全身麻酔での手術と
いうことで、不安や緊張を感じていました。
窓の外では、にわか雪が舞っていて、その白さが妙に心に残っています。

数時間が経ち、ようやく手術室の扉が開きました。
ベッドに横たわり、意識のない母が静かに運ばれてきました。

主治医の先生からは「手術は無事に成功しました」との説明があり、まずは胸をなでおろしました。
これで少しずつ回復し、また元の生活に戻っていける…そう願いながら、その日は帰宅しました。

手術後、しばらくは大学病院で経過観察が続き、容体が安定したら、元々入院していた病院へ戻ることとなりました。
退院の目安は、「ある程度自分で動けるようになるまで」とのこと。
恐らく1〜2か月ほどになるだろうという話でした。

それまでに、自宅を母の生活に合わせて整えておく必要がありました。
そこでまず、母が普段過ごしていた和室を、ベッドを置けるように板張りの洋室にリフォームすることを決めました。

すぐに懇意にしている業者さんに連絡を取り、現地を見てもらい、見積もりを依頼。
その合間にも、病院へ母のお見舞いに通い、必要な手続きや準備を進める日々が続きました。

こうして、母の退院後の暮らしに向けて、少しずつではありますが、新たな日常へと動き出していきました。

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母の入院と手術までの道のり

母が入院し、慌ただしく2021年が明けました。

当時はまだコロナ禍の真っ只中で、面会時間や人数にも厳しい制限がありました。
なかなか母と話すこともできず、もどかしい日々が続きました。

そんな中、主治医から「このまま保存療法(手術なし)でいくか、それとも手術によって骨を修復するか」を選ぶ必要があると言われました。

母本人は、「一刻も早く、この痛みから解放されたい。できるなら手術をしてほしい」と希望しました。
しかし、詳しい検査を進める中で、心臓に弁膜症などの疾患も見つかり、全身麻酔が必要な手術は厳しいかもしれないことを告げられました。

正直、とても不安でした。

その後の精密検査の結果、幸いにも「手術は可能」との判断が出ました。
ただし、現在入院している病院では対応できないため、市内の大学病院への転院が必要になりました。
それが2021年1月中旬のことです。

母は再び救急車で運ばれ、大学病院へ転院しました。
病院内は、コロナ対策のため、どこも張り詰めたような空気。私たちも最小限の付き添いしかできず、緊張感の中での転院となりました。

母が受ける手術は、簡単に言うと「潰れた骨の中に医療用のセメントを流し込んで、強度を補う」というもの。
間近に神経が通っている背骨という非常にデリケートな部位だけに、万が一、術後に足が動かなくなるリスクもあると説明されました。
けれど、母の苦しみを思えば、主治医の先生を信じてお任せするしかありませんでした。

ここでも多くの書類にサインし、あとは手術の日を迎えるのみ。
緊張と不安を抱えながらも、「どうか無事に終わってほしい」と願うばかりの日々でした。病院帰りの車の中、弟と「今回の件でお母さんの健康寿命はかなり縮んでしまうだろうな」という会話をしていました。

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